霊能者の見分け方
霊能者の見分け方
依頼する側も依頼される側も、双方にとって気づいていないような点も含めて、基本的原理に基づいて検討してみたい。霊能力の又霊能力を持っているとされる人に頼まれている人達は苦悩の中ワラをもつかむ思いですがられる人もいるだろう。すがってる最中の人には信じる気持ちが強すぎて、見えない部分、気づけない判断しかねるのは仕方がないことだが、本物ではない霊能者にしがみついているということは助けてもらう人=助ける人が苦しんでいる人=苦しめていく人の構図になってしまう。
一言に霊能者といってもあらゆる分野の人や、宗教に関係なく又どんな宗派であろうと、キリスト教関連の人であろうと霊能力のある人はいる。貫禄があったり優雅そうに見えたり、着飾っていたり密教の大阿闍梨だから外国、国内共に長年修行された人だから、有名だから、弟子が沢山いるからとかそういった人達にすごい神仏がついていると確信できるのだろうか?本当の霊能者なら人を見る目はもちろんのこと、状況を的確に判断でき霊的にも相談者がどういう段階、種類の霊に影響を受けているか、たとえばどこまでが、霊障で、どの部分が人からの作用やカルマでどういう因縁なのかといったことをきちんと判断できなければならない。
時に神の試練を与えられている段階の人もいる又希に水神などのたたりをうけている人もいる。かといって何でも霊の仕業だ、祟りだというように原因を一つに絞り込んで、払うことばかりに重点をおくようなやり方は問題だといえるだろう。
霊障的なことに対して、霊を払う、降伏させるやり方ばかりとる人は知識があるとはいえない。現在の霊障のほとんどは、昔と違ってそういうことだけやっても解決にはならない。これ一本にやっている霊能者、行者、神官にしろ霊感や霊能力に欠けている人に多い。不幸の原因、苦しみといっても様々な要因が絡み合っていることも多々あり、本質をよめないと何でも霊が憑いている、祟られている、先祖が浮かばれてない、成仏してないという方向に持っていき法外な金銭を要求されることになる。
人も霊も共に救われるように祈るのは基本だがその事を理解していない人が方が多いのである。霊だけ取り除けばあなたは救われるとかいった具合にそういう人や所へ行っても逆にそこにいる霊を拾ってくる、憑けてかえってくることになるから要注意だ。なぜなら神がついたり、感応したりしているのではなく多くは狐、蛇、狸などの動物霊やいいとこ動物の親分が憑いてくれてるだけか、その霊能者がやたら元気がいい場合は、生きてる時に滝にあたったりの荒行や修行をしてた、行者、修験道の霊が導きついているので、その霊が知っている範囲の知識や方法しか与えられないのである。まあそういう中には、途中から気が変になる者や、突然難病になったり、急死したり最期は悲惨な形で終わる、昔の言葉にあるように、行者の行く末は悲惨だと言うのは真実をあらわしている。うぬぼれてしまった2つの魂は日の出を見れない運命を辿ることになる。そういった霊能者自身もエネルギーがやたらと強い場合には、妻や子供が悲劇にあうようになる。低級霊や動物霊が憑いている人ほど神のように装い、極端な言動、大言壮語するのだ。「○○○の命じゃ」などといわれたというのは動物霊の典型だ。現在なら知る人も多いパターンである。
そういう類も予知能力や神秘現象を起こせる力をもっているので、憑かれた者は変に自身をもち、うぬぼれてしまうのだが、死ぬ迄気づけなかったら、それも大きな因縁なのだ。透視力もいろいろだが、神道家の故中山忠徳氏も「当たってどうなんだ、霊眼で見えてどうなんだ、見せたり当てたりすることは狐や狸でもやって見せるよ、おまけにそういった“いたずら者”は天照大神だの龍神だのと名乗るくせがあって、これに引っかかる霊能者は多い、そして大それた天変地異の警告などを受け、自分も腰が抜けんばかりに驚いてあわてて他人も驚かすというケースがあるから、よくよく注意せねばならぬ」と伝えている。霊が見えるということも、霊魂が損傷した証拠であるという秘教の見解は正しい。取り引きという代価を払い、自分の魂を売り渡す結果となる。自分にどういう存在がコンタクトしてきているか(高次元からか低次元からか)神霊界も含めてどういう目的でということが識別できる能力がないと人や霊を救うにはほど遠い。闇は光に化けたがるのは真理だ。
低級霊、低次元の霊は自分が正しいと思ってやっていたり、正しいことの判断すらつかない霊がほとんどだ。悪霊も高度なものとなれば、高級神霊と区別することが難しいこともあるから、霊能者や宗教家は常に自分自分の心を見つめ直し自己分析し、真理を探求していかねばならないのだ。自分を完全と思う心はすでに真理に遠い。したがって自分だけの狭い考えや、自分が習って学んだ教えだけの範囲のみを押しつけようとするのはその人の進歩の度合いを如実に表わしている。他とはやり方が変わっているいう特異性だけで誤魔化されては、広い視野で物事を見れなくなる。あなたの心がけが悪いからとかご主人を大事にしてないからだとかいう理論観ばかりを分からせようとするのも霊能者としてはどうかということだ。
倫理的に対処することはもちろん大事なことだが同時に家族の誰に一番霊的作用が及ぼされているのかも見通さなければならない。霊に洗脳されたり、心や気持ちをコントロールされてしまってる人は多いのだか心の持ち方だけを指導するなら、他の方面の人でも良いのだ。又そういうことを述べている人が心理学、精神分析学なども勉強していて、尚かつ人の心の状態までも判断できる能力を身につけているなら別だが、人の気持ちを考慮できない説法や説教は、逆に人を傷つけたり落ち込ませて哀しい思いをさせることにもなるのだ。人の為に魂を傾けて祈れた人にパードレ・ピオ神父がいるが、彼はきつい言動で表現することも多かったようだが、そこいらの密教行者が足元にも及ばない程の透視力を発揮した。その透視力とは先のことだけでなく人の心の状態、思いも含めての透視力だ。詩人であり霊能者でもあった、故竹内てるよさんにしても然り、受難の人生をおくられたが、自己を犠牲にしてまでも他者のために魂を傾けて霊能力を使われた。肉体をもつ私たちは全知全能ではない。だからこそ人を導く立場にある特殊な能力を与えられた者は、どれだけ愛を込めて出来るかという課題を常に全うできなくては本物とはいえないだろう。若い方々には不思議に思えるだろうが、あまり苦労していない、あまり不幸な目に合っていない、これといった病気もしたことがないなどの人は霊能者には向いていないともいえる。健康な人に病気の苦しみ、辛さが分からないように金銭面で不自由したことのない人にお金のない人の苦しみも分からない。幸せで恵まれた人生だけで、共感できはしないのだ。経験していないことは魂の底から分かるものではない、そういう意味に於いて、前世、過去世で悪事を多くした人が今世で特殊な能力をもったり、宗教家や霊能者になることも少なくない。
自分の使命としての霊能に気づいていない人もいるが、使命として生まれてきていない、見込まれてもいないのに、そういう面での神仏との因縁もないの人が超能力や霊能力に憧れて、あれこれやってみたところで魔にやられるだけがオチだ。霊能者に関しては特に30歳までに達していない人は本当の霊能力を発揮するのは難しい。前世からの段階がどこまで達しているかにもよるが本当に目覚めてやっていけるのは40歳過ぎなければ開花しないのだ。ろくに人生経験もないもの者がどんな問題の人が来ても受け止めれる訳がないからだ。又個人的主観では、37歳38歳の段階で世をすべて分かりきったと感じる人もいるだろうが、そんなものではない。あくまでも自分の主観の中でだけ、そう感じてしまうのだ。荒行をしたいのなら若いうちに始めると良いだろうが行だけで内省のともわない人は本当の霊能力を得たとはいえない昔からみんながやっているから大丈夫だと思って、沢山集まっている所へ行ってもみんな救われているわけではないのだ。人と同じことをするというのを基準にせず霊能者の人格などを冷静に見極めることである。法華経などに特に出てくるが、神通力は仏教の教義でいえば「悟り」を得て生ずるものとされている。自己分析の出来ない、人の心も分からない者が法力や術を学んだだけでパフォーマンス的に霊能力、神通力があるように見せるのは大きな罪を作ることになるのだ。
仏教系の人達も釈尊がなぜ超能力の類を封印したか、神通力を使う者を拒んだのかよく考えた方がいいと思う。又威厳のある衣装をまとっているから、立派な人とは限らないのであるから。大げさなパフォーマンスに惑わされることなく、神仏、仏閣での祈祷だから本物だと早合点することのないよう、あくまでもその人物を判断することだ。この世の中ニセモノが多いが、本物と呼べる人も沢山いる。ニセノモの方が本物よりはるかに多いということなのだ。具体例として、依頼人の胸を触るなどのセクハラ行為(むやみに触るなど)はもってのほかだ。又分からないことは分からないと、真剣に取り組んでくれて、私情を挟まず、謙虚な対応をしてくれることは前提だ。念力は神通力、霊能力とは違うということも理解しておくことだ。念の力を別の方向に使っている人が多すぎるのだ
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