除霊・浄霊 / 霊 / セルフ スピリチュアル カウンセリング

霊を知ることで、霊から身を守る。もう霊を恐れることはありません。あなた自信の力で霊を除き、霊の悩みから解放されることを目的としています。

トップページに戻る


除霊・浄霊

除霊・浄霊について

いろんなところを回って除霊の祈祷などを繰り返してきても現状が何も変わらなかった人には気の毒だと思うが、霊能者に限らず行者、修験道などの類の人に除霊してもらっても解決していない人が多い。力のある人には、動物霊などの原理をしっかり理解したう上で法力、術を使えば除かれるときもあるが、人霊の場合は説得できなければ意味がない。

昨今では、目覚めてきた人が増えてきたので人間と霊が同じ波動、波長が合う限り無理に除霊しても、すぐに戻ってくることを理解されてる人もいるが、それは性格が悪い、心、想念が清らかでないとかということで、片づけれる問題でもない、波長といっても、その人の中に深い哀しみがあり様々な苦しみを経験し落ち込んでしまった場合も、気力や体力が弱っている訳で、その心と似たような波動のものが憑いてしまう。

もちろん人を憎んでいる心にもそれと同じ類のものが憑くが生まれつき肉体もエーテル体も弱いものにも憑きやすい。逆説的であるが、強欲でエゴの強い、自分だけ良ければといった心の清らかでない人でも、必ずしも悪霊とかに憑かれている訳ではない。あなたの周りにもこんな人がなぜいつもいろいろなことに恵まれお金にも不自由せず健康でいられるのだろうと不思議に思える納得しかねるような人が一人や二人はいるだろう。

霊がつくのは想いの波長や波動だけではなく、その人が前世・過去世で行ってきた行為を憎んで、地上にその人が先に生まれ変わってきたけれども、憎んでる方はまだ霊のままで復讐の意味でいろんな事を妨害したり苦しめたりすることが多いのだ。それはその人だけのことではない場合もあり、親や祖父母、先祖達の悪事(人を傷つけたり、殺したり)を長い年月に渡ってうらみ続けている霊の存在が一番厄介であり、そんな簡単に短い時間で解決できるものではない。どんな霊にも必ず目的があるからだ、またカルマの欄でも詳しく記すが、自分のまいた種は自分で刈り取らなければならないので、カルマの範囲での憑依は時間的な限定を人間が決めれるものではない。

どんな修行を重ね、偉い立場、肩書きの人に手代掛けてもらおうと、結局は本人の努力によるのだ。自己を反省する心、詫びる心感謝できる心、人の苦しみ痛みを判ろうとする心、謙虚さを忘れない心など意識を向上させ霊的に進歩していく、深い思いやりのある心を常にもち人の役に立つこと、人を助けることを率先してやっていく努力が大事なのである。霊の種類の所でも書いたが、一言に動物霊が憑いていると言ってもその背後には因縁霊の存在がある場合が多いので、そうでない場合は、法力、術的によって取り除くこともできるだろうが、しかし他力のみで祈ってもらったりする依存より、自分自身が魂を傾けて誠意や真心こめ真剣に祈ることも大切だ。こういう症状だから、こういう状態だからということで、依頼された側も独断や思い込みで判断してはいけない、憑依霊を見極めるのは、多少霊感や霊能が発達していても難しい霊障と同じように見えてもそうでない場合もあるからだ。

除霊、浄霊する側の人が霊格の低い人であれば、その人に憑いている霊までもらうか、大きな影響を受けてしまうことにもなりかねる。

霊能者などの人の中には、霊障者もいる

そういう人の念力だけで解決しようとするのも、力を使う側に愛の心が欠けていたりすれば逆効果となる。確かに鎮めなければならない霊や状況の時もあるが、いつもそうではないし、多くの霊能者のように模倣的な知識の範囲内で判断して降伏させようとするのは、霊に力を与えてしまったりもする。昔と違って霊的作用や魔の世界なども質や波動に変化があり、古来のやり方、方法が一番良いとはけっして言いきれない、又かつては希に魔的な存在の憑依により人間の諸体が破壊され、乗っとられるという場合もあったが、現在では「魔」と「神」という正・反の合体が終了しており、こうした憑依は起こりえないという秘教的見解もある。

その人にとって一定の期間、月日そういう目に合わなければカルマの精算ができない

天の配慮や大きな意味があり、不幸な目に合わなければ気づけなかったこと、悟れなかったことなどが、理解できる、納得していける人も増えてきている。その為神霊による治療や加持祈祷などが万能ということにならないのは、その人の魂の進歩に応じてしか現状は変わらないということ。信じることは大切だし、信仰心もないよりは有ったほうが良いがだからといってその心があるから奇跡的なことが起こるのではないし、奇跡が起こる時は「機」が熟した時なのだ。神仏にまつわる仕事の人々の中にも力づくでとか大声を出して唱えたり、威圧的に降伏させる方法をとる人もまだまだ多いが、そのようにして霊をどかせようとする行為は次元の高いやり方とは言い難い。

お経や真言、マントラなどを唱えて除霊にはならないようにお経などによってもそれを唱える人の波動や霊格によってより多くの、又別の霊までも引き寄せてしまいかねない。それは一つの方便として捉えるべきだろう。霊障に悩む人は弱気な人も多い。気が強く、我も強くても弱気なところが多いのである。弱気な部分が多いとエネルギーが低下したり、精神面を洗脳、操られるような影響を受けやすい条件を作ってしまう。自分では、どうしてもコントロールできないという人は霊のみでなく、憑かれている当人も同時に浄化してもらうことである。そして重要なことは、あなたが関心あるものを引き寄せてしまうのも真理なのだから、いたずらに霊に興味や関心を持って霊が出るといわれている場所に近づくことなどはやめておくできだ。

また霊感の強い人、霊媒体質のような人も日が暮れてから、神社、仏閣、墓などにも行かないように注意

なるべく午前中に行くこと。そしてその神社、仏閣を守っている関わっている宮司、僧侶などの人間性もよく見極めた上で、陰気で暗い感じの、掃除の行き届いていないような所もなるべく避けたほうがいいだろう。無知な行動によって自分に全く関係のない霊まで引き寄せてしまうのは愚かなことだからだ。もう一度内面的な重要性について繰り返しておくが、やみくもに恐れたりはしないことだ。恐れや不安の強い感情は負のエネルギーなので憑かれ易い状態になってしまう。前向きで明るい気持をもつことは霊的防御の基本なのだと心得よう。類は類を呼ぶのは法則だが最も意識を傾けて努力することがいかに逆効果であるかも一種の法則だと思う。老若男女に関係なく、感謝は少々できても、人に対して反省の気持ちを持たない人もいる。感謝の前にまず己を省みる、反省する心が大事なのだ。己を省みることすらできない人が本当に心から感謝の心をもっているだろうか疑いたくなるときがある。自己感情、知性の歪みなどを含めて、けっして外在的な原因として捉えるのは、自分は悪くないと人のせいにしたり霊のせいにしたりと責任転換に通がり、根本的に自分自身がいろんな意味で向上していかない限り、副産物としての憑依は続く。冷静になって自分の心と精神を点検するつもりで分析してみること。

恐れたり、心配ばかりして自分を曇らせてしまっていないか考えてみてほしい。

憑かれている人も憑いているものも光と愛が足りなかったのだ(他者への愛、自分への愛、愛の本質を知らずに育ってきた魂のまま転世していたり)などあなたの思いで、どんな目的をもっている霊に対しても光を投げかけることができる、光で愛で包むことができるのだということを信じて、恐れず、ひるまず、くじけずに歩んでほしい。憑いている霊共に向上していける生き方をすればあなたを苦しめていた霊もいつかはきっとあなたに感謝する日が訪れることだろう。

  • -
  • -

All About霊のサイトは、All Aboutで富永 隆光先生にもご紹介していただいているサイトです。


相互リンク募集中です。通販ネットショップ応援SEO対策